nagameの子育て日記

田舎暮らしの子育て日記です。2015年7月、42歳で高齢初産しました。

いまさらの高齢出産記録

 

ものすごく今更ですが42歳の出産記録です。

今年5歳になるので、もうはるか昔のようです。

オットも詳細は全然覚えていないだろうし、将来娘にどんな出産だったかを伝えてあげるときのために?笑。

 

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結婚したのが39歳で、もともと子供は苦手だったこともあり、このまま子供はいない生活でいいかなーと思っていたのですが、41歳の時に家を建てて、精神も生活も安定したのか、まさかの妊娠でした。

仕事柄、こういう方が多いのは知っていたんですけど、我が身にも起こりました。笑

 

母子手帳をもらうために保健センターに行ったとき、係の人から自然妊娠ですか?と驚かれました。その時は知りませんでしたが、40歳を過ぎての自然妊娠はかなり確率が低いんですね。

 

出産より先につわりです。

 

生理が遅れていることに気づいてまさかと思いながら検査薬を買ってきた途端に、どんどん食欲がなくなりそれとともに嘔吐。

1日半?全て出てしまって、もう何もないのにそれでも吐き気が止まらず。

でも水をのんでもポカリをのんでも気持ち悪くて気持ち悪くて吐き気のみ。

 

夫にこれ妊娠かもと告げたときに戸惑った顔。

私も同じく戸惑いしかなかったので、なんで喜ばないのよ!なんてことはなく。笑

 

死にそうになりながらなんとか翌朝にオットが産婦人科へ連れて行ってくれました。

ケトン体という数値がプラス4というかなりひどい状態で即入院となりました。

 

 

まさかの妊娠でまさかのつわりでまさかの入院。

入院して吐き気止めの点滴を一日中してだいぶマシになりました。

 

約一週間入院して退院後もつわりの毎日。

吐きづわり食べづわりのミックスで、お腹が空いても何かを食べても気持ち悪く、毎日吐いていました。

夕方になると立ち上がれずトイレの近くでじっと壁にもたれて小さくなっていました。でも食べないと気持ち悪いのでなんとか食べられる物を探し続けました。

 

水もお茶もダメでなぜか飲めたのはイチゴミルクと炭酸少し。食べ物はそうめんかコンビニおにぎり少し、野菜サンドイッチ、クラッカー。。。

クリスマスの夜、オットにはどこかで食べてきてと言い、一人で冷たいそうめんをちゅるちゅる食べました。

 

水をゴクゴク飲めるのがどれだけ気持ちいいか、美味しいものが美味しいと思えるのがどれだけ幸せか心の底から思いました。

 

それからいろんな人工的な匂いがダメになりました。シャンプー・ボディソープ類がダメでお風呂で吐きそうに。コーヒーを飲んだ後のオットの匂いも。

パン屋さんのパンの匂いには救われました。

 

 

そんな日が約3ヶ月。早く終われ早く終われと念じる毎日。その間も仕事はしていたのですが、不思議と打ち合わせ中などは気が紛れるんですよね。

 

 

つわりが終わってからはすこぶる順調でした。

でも妊娠発覚時があまりにしんどかったので、高齢でもあるし出産までは到底無理だろう流産するだろうって正直思っていました。

 

私は小さいころからガリガリのチビだったので、高校の時の担任の先生(女性)に「ナガメさんはもっと太らないと子供産めないよ」と言われたのが言霊のようにずっと頭にありました。それもあって、どこかでまともな出産ができないと思い込んでいるところがありました。

 

 

しかしそのまま順調に時間はたち、しかも予定日すぎても全く気配なく。

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入院に向かう朝に家の前で記念撮影。お腹が出てる~~

 

 

予定日より8日遅れて入院し、陣痛促進剤を打つことになりました。

その前にまず、入院した日に子宮頸管拡張の〇〇という器具。←よくわからなかった。

 

そんなことするって思っていなかったのでびっくりもあって、めちゃくちゃ痛かった。入れっぱなしで数時間?経っても子宮頸管開かず、夕方にはバルーンというもの。

これもめちゃくちゃ痛かった。涙

痛すぎて、後でバルーンを検索してもあまり経験談って出てこなくて、この痛さであまり出てこないっていうことは出産ってこれ以上なのかと思うと絶対無理だと恐怖で気が遠くなりそうでした。

夜には10分間隔で張りがあったのですが、談笑できるレベルだったので陣痛ではないですよと言われました。

 

結局翌朝バルーンを外しても子宮頸管は開いておらず、促進剤を打つことに。

 

先生に最初から「高齢でもあるので途中で帝王切開に切り替える可能性も高いですがよいですか?」と言われ。

思わず「いいです。」と言って、むしろそうして欲しいと思っている自分がいました。

でもそのあと、自分の弱さが情けなくて情けなくて涙が出てきてしまい、看護師さんが励ましてくれました。

 

 

9:00から促進剤点滴投与。

最初は余裕で、促進剤も効かないのかも?と思っていましたが、1時間半ほどで急に陣痛が来ました。急に痛みが強くなり5分間隔に。

30分後くらいにはあっという間に2分間隔でマックスに。2分あいて1分陣痛。その間に気を失うこと数回。助産師さんがずっと背中をアロママッサージしてくれてそれがとても救いでした。ソフロロジーを推奨している産院だったのでそのつもりで力を抜いて~呼吸して~と思うのですが、、、、、

無理でしょ!力を入れずにいられない!痛すぎる!

 

そのまま数回気を失いながら1時間半後の12:30

結局子宮口4㎝しか開かず、帝王切開が決まりました。

決まったのなら早くやってほしいのに、陣痛が2分間隔の中、約1時間半後にようやく車椅子で手術室へ。

 

14:15やっと脊椎麻酔。

麻酔注射が痛いと聞いたことがありますが、陣痛に比べたら何も感じませんでした。打ったすぐから体がふわ~っと力が抜けて痛みが和らぎました。

手術している間、二人の先生が執刀してくれたのですが、頭の遠くの方で、先生二人がたわいもない内容の雑談が聞こえていたのが面白かったです。

 

下半身麻酔だったのですが、頭はぼーっとですが起きているし、お腹を切る感触、お腹の中を触って赤ちゃんを取り出す感覚がかすかですがわかりました。

 

1439分出産。予定日より9日遅れの7月25日。

すぐに泣き声が聞こえ、顔のところに運んでくれて見せてくれました。

 

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2910
 

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手が紫色だった。

 

1515には手術が終了してオットとも再会。

赤ちゃんも部屋へ。私はまだ下半身麻酔が効いていて足が動かないまま腕枕。

 

感激で嬉しくてというより、とうとう生まれてしまった。どうしよう。大丈夫かな。大丈夫なのかな。大丈夫か?という気分。たぶんオットもそう。

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つむじがきれいだな~って思いました。笑

 

三日目には母子同室となり、夜中授乳しても抱っこしてもなかなか寝ないで泣き続ける赤ちゃんに早くも心が折れました。

出産の痛みが怖かったけど、それよりもそのあとの方が大変だということを思い知りました。

 

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産院で初めての沐浴。子ザルだわ。笑

 

つわりと陣痛と帝王切開と。

1人しか生んでない割にはいろいろ経験できました。

陣痛が何十時間かかったとか途中で手術になって病院搬送されたとか、もっと壮絶な人はたっくさんいるので、無事に生まれたんだし大したことない方かもしれません。

 

 

でももう一人を考えたとき、帝王切開はともかくあのつわりをまた経験するかもしれないと思うとなかなか踏み出せませんでした。

身近に頼れる親類もいなく、まだ小さい手のかかる子供を育てながらつわりで3ヶ月なんてとても無理。

でもそれは自分への言い訳だったかもしれない。

 

なのであの陣痛、出産を経験しながら234人と産んでおられるたくさんの方を本当に尊敬します。

 

 

 

今になってやっぱり弟か妹を作ってあげたかったと思います。

もう少し若かったらな~。もう考えてもどうしようもないんで考えませんが。

 

一人っ子なんて世の中にごまんといます。

一人っ子育児を堪能しようと思います。

 

 

 

以上長々といまさらの出産記録でした。読んでいただいてありがとうございました。

 

娘がいつか読む日が来るのかな~。

と、思うと、出産がしんどかったしか書いていないので悲しくなったら申し訳ない。

付け加えのようですが、こんな思いをしたけど頑張って産んでよかったと本当に思います。

こんな母だけど生まれてきてくれてありがとう。ヘボヘボでごめんなさい。